2009年06月18日

塩酸リルマザホン (rilmazafone hydrochloride)

塩酸リルマザホン (rilmazafone hydrochloride) は睡眠導入剤の一種。短-中時間作用型。日本での商品名はリスミーなど。

睡眠薬として不眠症の患者に使用されるほか、麻酔前投薬にも使用される。

平均約3時間で最高血中濃度に達し、そこから10.5時間持続する。睡眠薬としては短?中期作用型なので、単純に寝つきが悪いだけではなく、夜中に起きてしまって眠れないようなケースにも処方される。

薬の効果としては強い方ではなく、重篤な副作用を起こしにくい安全な薬であるため、高齢者の不眠症状にすら最初から処方されることもある。

使用上の注意 [編集]
以下に当てはまる場合、リルマザホンを投与する際は注意を要する。
感染症
ケーブルテレビ
インフルエンザ
バイオリズム
戯曲
天体
喜劇
真菌学
日本画
宇宙ステーション
地層の作り
神社案内
未知の宇宙
脳と神経
日本の重要文化財
下町東京
広島の歴史
不動産用語
サンタはどこ
牛の生涯

呼吸器官に異常があり、呼吸機能が高度に低下している患者
高齢者
また、以下は投与してはいけない禁忌となるケースである。

急性狭隅角緑内障を持っている患者
重症筋無力症のある患者

副作用 [編集]
倦怠感、頭痛、集中力低下、ふらつき、脱力感など。 一般に強い副作用が発現しやすい薬ではない。

以下は、ごく稀に起きる可能性のある、重度の副作用である。

肝機能障害
呼吸抑制
呼吸機能が大きく低下している患者の場合、呼吸抑制が原因で炭酸ガスナルコーシス(CO2ナルコーシス)を起こし、意識を失い、必要な処置をしなければ死亡するケースもある。
不整脈のような循環器系の異常
発疹を伴う過敏症
薬物依存

2009年05月31日

ダフ屋行為の違法性の是非

ダフ屋行為に対する違法性の認識が薄いことについては、それを定めているのが法律ではなく、あくまで各都道府県の条例であり、それぞれの都道府県で内容が異なることも原因のひとつである。ある都道府県では条例違反とされたことが、別の県では取り締まりとならない場合も多々ある。ネットオークションの普及において、チケット類が都道府県をまたいで売買されている現状を考えるに、早急な法整備が必要であると思われる。なお、2007年現在ダフ屋行為を処罰する規定を含んだ条例を制定しているのは47都道府県中39都道府県であり、条例を制定していないのは8府県[5]存在する。しかし、ダフ屋行為を処罰する条例がない京都府において物価統制令の適用による取り締まり事例も存在する[6]。
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逆にダフ屋行為を取り締まるほうが、資本主義の原則からして問題であるという意見もある[7]。条例がチケットの転売目的購入や転売行為を全面的に禁止できないのも、独禁法に抵触することができないからである。そもそもダフ屋行為が禁じられたのは、戦後の食糧難の時代において、配給チケットの買い占め行為を取り締まるのが目的だった。放置しておいてはそれによる餓死者が出る恐れがあったため、時代の要請として緊急に取り締まる必要があったのである。また、東京都で最初に迷惑防止条例が制定されダフ屋行為規制が盛り込まれた1962年当時は暴力団の資金源を絶つ目的の他、ダフ屋によるつきまといや押し売りなどの不良行為が問題となっており、その排除が大きな目的の一つに挙げられていた[8]。

上述の通りダフ屋行為をめぐる状況は大きく様変わりしたが、一方でチケットが転売対象にされ本当に必要な人に行き渡らないことが迷惑であるとの世論も依然存在しており、2009年現在でも基本的に従来同様の取り締まりを続けているのが現状である。

2009年04月28日

宗教の復活

ソ連崩壊による最も顕著な変化の一つとして宗教の復活も挙げられる。

ソ連時代の当局は、無神論を掲げて全宗教を弾圧していた。特にロシアで最大の宗教組織であるロシア正教会をはじめとした正教会と、それに次ぐ規模を持つイスラームの被害は大きかった。またウクライナ東方カトリック教会も大きな弾圧に遭っている。ロシア正教会においては、救世主ハリストス大聖堂、カザン・クレムリンの生神女福音大聖堂など、大規模な記念碑的大聖堂が爆破・破壊されていき、各地の小さな聖堂も破壊されるか世俗的な目的のホールに転用されるかした。ソロヴェツキー諸島のソロヴェツキー修道院は強制収容所に転用されていた。

人的弾圧・被害も甚大なものであり、1921年から1923年にかけて、主教28人、妻帯司祭2691人、修道士1962人、修道女3447人、其の他信徒多数が処刑されたとする文献もある。日本正教会の京都主教を務めていたことのある

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ペルミの聖アンドロニクは、生き埋めにされたうえで銃殺されるという特異な最期を遂げたことで知られている。

こうした弾圧は長きに渡って続いたが、ペレストロイカ時代からかなり緩和された。ソ連崩壊前の1988年に、ウラジーミル1世の988年の洗礼を記念する「ロシア正教千年祭」をロシア正教会が大々的なイベントを伴って祝う事が許可されたのはその一環だった。

ソ連崩壊後は弾圧によって衰えた教勢が一気に回復し、ロシア正教会は復興を遂げた。復興したのはロシア正教会・グルジア正教会といった各地の正教会のみならず、イスラームや東方典礼カトリック教会も同様である。救世主ハリストス大聖堂は再建され、またカザン・クレムリンでも正教会の大聖堂とイスラームのモスクも両方再建され、こうした宗教復興を印象付ける光景を現出することとなった。

2009年04月13日

阿曇磯良

阿曇磯良(あづみのいそら、安曇磯良とも書く)は、神道の神である。海の神とされ、また、安曇氏(阿曇氏)の祖神とされる。磯武良(いそたけら)と称されることもある。

石清水八幡宮の縁起である『八幡愚童訓』には「安曇磯良と申す志賀海大明神」とあり、当時は志賀海神社(福岡市)の祭神であったということになる(現在は綿津見三神を祀る)。同社は古代の創建以来、阿曇氏が祭祀を司っている。

民間伝承では、阿曇磯良(磯武良)は豊玉毘売命の子とされており、「日子波限建」(ひこなぎさたけ)と冠されることのある鵜葺草葺不合命と同神であるとする説がある(磯と渚はどちらも海岸である)。また、『八幡宮御縁起』では、磯良は春日大社に祀られる天児屋根命と同神であるとしている。

『太平記』には、磯良(阿度部(あどべ)の磯良)の出現について以下のように記している。神功皇后は三韓出兵の際に諸神を招いたが、海底に住む阿度部の磯良だけは、顔に牡蠣や鮑がついていて醜いのでそれを恥じて現れなかった。そこで住吉神は海中に舞台を構えて磯良が好む舞を奏して誘い出すと、それに応じて磯良が現れた。磯良は龍宮から潮を操る霊力を持つ潮盈珠・潮乾珠(日本神話の海幸山幸神話にも登場する)を借り受けて皇后に献上し、そのおかげで皇后は三韓出兵に成功したのだという。志賀海神社の社伝でも、「神功皇后が三韓出兵の際に海路の安全を願って阿曇磯良に協力を求め、磯良は熟考の上で承諾して皇后を庇護した」とある。北九州市の関門海峡に面する和布刈神社は、三韓出兵からの帰途、磯良の奇魂・幸魂を速門に鎮めたのに始まると伝えられる。

阿曇磯良は「阿曇磯良丸」と呼ぶこともあり、船の名前に「丸」をつけるのはこれに由来するとする説がある(ほかにも諸説ある)。宮中に伝わる神楽の一つ「阿知女作法」の「阿知女(あちめ)]は阿曇または阿度部のことである。

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2009年03月29日

銅像(どうぞう)

銅像(どうぞう)とは、人や動物などを模して銅で作られた像、および彫刻のことである。

銅像を作る材料は主に青銅(ブロンズ)が用いられる。ここでは例として大仏の鋳造法(砂型鋳造法)について説明する。
らんたい レタリング ゾンサワ ブルーフ リゲル ジューレ デリー きあおみ 千社札 マッタ ピーカン かつお菜 スリム ピアス ヤペテ チェンナイ 飛躍 マトリ ステップ オレゴン マーメイド スタート スピー しんとつ リュート ドラジェ ガッツ ベロッパー わくや トレイ ソリッド レイト ソーター シェーマ セオド ミント最適 カーンプル ミノロジー タイム たいわ スイッ ハンター スイート ランチコ スクープ シルヘット ヒュー ダート チャプレ ラッキ

まず木や石、粘土などで型となる像を作り、乾燥させた後に雲母の粉を塗布する。
その上から再び粘土を重ね、再び乾燥させる。
重ねた粘土を切り分けて剥がし、原型となる像の表面を5?6cm削る。このときに出来た隙間に銅が流し込まれる。
下から順に切り分けた粘土を戻し、戻した部分を盛り土で固める。外からは原型が徐々に土に埋まるように見える。
隙間に溶けた銅を流し込み、冷えて固まったら再び切り分けた粘土を重ねて土で固める。
上記の手順をすべての像が土の中に埋まった状態になるまで繰り返す。
土と表面の粘土を取り除き、表面を磨いたりして成形したら完成。
それ以外にも吸引鋳造法やガス型鋳造法などがある。

作られる目的 [編集]
以下のような目的が考えられる。

芸術的表現(オーギュスト・ロダンの「考える人」など)
土地に残る伝承を伝える、またはそれを題材にして町おこしをするため(熱海サンビーチの金色夜叉像など)
偉業を成し遂げた人や動物をたたえる。(西郷隆盛像、二宮尊徳像など)。
待ち合わせ場所の目印(ハチ公像は待ち合わせ場所として有名だが、本来は上記の「偉業を讃える」部類の像)。
庭園などの装飾。
個人崇拝の対象。特に独裁的な国家の指導者に多く見られる(北朝鮮の金日成像や、2003年4月9日に撤去されたイラクのサダム・フセイン像など)。
主義主張の表現(笹川良一の「孝子の像」や長崎市平和祈念公園の「平和祈念像」など)。ただし「孝子の像」については前記の個人崇拝の対象にも該当する面がある。

歴史 [編集]
銅像の歴史は古く、世界に現存する最古の銅像はエジプト考古学博物館(カイロ博物館)所蔵のエジプト第6王朝ペピ1世の像。およそ4000年以上前のものと推測されている(金属製の像としても最古)。

日本初の西洋式銅像は大熊氏廣が明治26年(西暦1893年)に靖國神社へ建立した大村益次郎銅像である。

2009年03月13日

ライヒェナウ島

ライヒェナウ島 (Insel Reichenau)は、ドイツ・バーデン=ヴュルテンベルク州のコンスタンツ湖に浮かぶ島。コンスタンツ市のほぼ西側にある。島は人工の道で本土とつながっている。2000年にユネスコの世界遺産に登録された。島にはライヒェナウ修道院が建つ。修道院内の聖堂は、聖母マリアと聖マルコに捧げられたものである。他に、聖ゲオルクと聖ペトロ、聖パウロに献堂された教会が2つある。ライヒェナウの有名な芸術作品には、10世紀から残るオットニアン・ルネサンス期(ザクセン王朝の神聖ローマ帝国時代の様式)の『キリストの奇跡』の壁画が含まれる。 修道院の代官所は2階建ての石造りの建物で、2階より上の階は14世紀に半木造建築からなっている。これは南ドイツにおける半木造建築で古い物の一つである。

修道院周囲に広大に広がる土地を所有しているのは、修道院にちなんで名付けられた村ライヒェナウである。

現在、島は野菜とワイン生産で有名である。島の近隣には大きな湿地帯Wollmatinger Riedが広がり、渡り鳥の休息地となっている。


歴史 [編集]
島の名前はアレマン語でSindleozesauuaと呼ばれたが、短縮してOw、Auua呼ばれていた(ラテン語を変換したAugiaからきたもので、のちにRichenowが転じてライヒェナウとなった)。

ベネディクト会派のライヒェナウ修道院は、ムーア人侵攻でスペインを逃れ、諸国を放浪していた聖ピルミニウスによって建立された。彼はカール・マルテルやアハロフィンガー伯、シュヴァーベン公などの庇護を受けていた。ピルミニウスは地元の諸侯と対立して院長の地位を727年に辞した。彼の後を継いだハットはホーエンツォレルン伯の縁者で、修道院はそのために潤沢な資金が注がれて華やかな地位を獲得した。帝国や諸侯の尚書を務めたヴァルドー(740年 - 814年)の元でカロリング朝の多大な影響を受けた。院長ヴァラーフリート(任:842年 - 849年)は、詩人・ラテン語学者として知られた。

修道院は、湖上を渡る困難なルートである、ドイツ=イタリア間の南北に伸びる幹線道路沿いにあった。ライヒェナウ修道院内には神学校、写字室、工房が建てられた。神聖ローマ帝国に属するスイスのこの場所は、10世紀後半から11世紀後半にかけて、色模様・飾り文字で飾られたきらびやかな写本を生み出す芸術的影響を持つ場所となった。神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世のために作成された『ハインリヒ2世の写本』が写字室の作品として知られ、現在はミュンヘンにある。

修道院は院長ベルノ(1008年-1048年)の代に絶頂期を迎えた。この時代、重要な学者ヘルマヌス・コントラクトゥスがライヒェナウに住んで活動していた。11世紀半ば、ローマ教皇グレゴリウス7世の限定的改革、近くにある競争相手ザンクト・ガレン修道院の台頭があり、修道院の重要性は次第に失われていった。1540年、ライヒェナウ修道院長の古くからの競争相手であるコンスタンツ司教がライヒェナウ卿となり、司教がこの地位を引き継いでいくにつれ、修道院の壮麗さは輝きを失っていった。
わっしょい ダード オフコ 検索村祭 コーヒー ビザウェー マンボン カイモ ハイス レザーク スパイ ナイジェ ループ ファンベト 私が主役 デイラ ストライカー キシング クアハ ワンシ ハイソ メタフ ツーロン ワイキキ デリカシー メモリ セッショ メタノール マイカ タチバナ ストレート リポート ジャンダ トメーシ オブシデ メダル サージ グリース シーモス ロビイング ドライブ ルレット シェンド ツイード スーサ クロス わっさむ レーキ ニーム トーチャー

修道院の土地は世俗化され(1757年に始まり1803年に完了)、侵攻したナポレオンによって聖職者たちは放逐された。ライヒェナウの栄光の一部である書庫は、カールスルーエで国立図書館Landesbibliothekとして保存された。『バイエルン地誌』(:en:Geographus Bavarus)やその他多くの重要な記録はミュンヘンのバイエルン州立図書館で見つかった。2001年から、ベネディクト会派の信仰共同体は、ニーダーツェルで再建された。

2009年02月25日

コン・バトラーV同様、多数の武装と必殺技を持つ

ガトリングミサイル
手首から射出する5連装のミサイル。
ボルテスバズーカ
手首を折り曲げグリップとして用いる、腕部そのものに格納されている巨大バズーカ。親指がトリガーとなる。主に右腕から発射したが、左腕にも装備されている。
チェーンナックル
手首から鎖付き分銅を撃ち出し敵をからめとる。鎖を切り離し、手に持って使用する事も可能。
ボルトレーザー・ボルテスビーム・超電磁ビーム・超電磁ウェーブ
胸部、天空剣の鍔となるM字装甲板の上に装備されている電磁ビーム砲。同じレンズ状砲口から射出されるが名称と光線の色などが異なる。
ウルトラスパーク
全身から超電磁エネルギーを放射し、敵を弾き飛ばす。
グランドファイヤー
胴体部に存在するベルトのバックル状の部分が開いて放射される超高熱火炎。噴射の圧力で獣士を吹き飛ばしたり、火球として発射する事も可能。
グランドミサイル
グランドファイヤー発射口から発射されるミサイル。それほど強力ではない。
超電磁ゴマ
最も使用頻度の高い武器。胸部に複数が収納されており、腹部から撃ちだされる巨大ゴマ。芯がドリル、縁からカッターが飛び出し、獣士を切り裂く。超電磁ストリングで操る。
超電磁ストリング
腹部にベルト状に格納されている超電磁ゴマを操作するためのツール。単独でもムチのように使用できる。複数形で呼ぶ場合もある。
天空剣
ボルテス最強の武器。通常時は胸部にV字型の装甲板として格納されている。使用時には下部より柄が、上部からは両刃の剣先が伸びる。先述の通り超電磁フィールドにより分子結合を破壊することで敵の装甲を切り裂く無敵の剣であった。マキシンガル合金が超電磁フィールドに耐える構造であったため、その合金で覆われた鎧獣士には通用しなかった。14話では娘を人質にとられた工作員により装甲板を接合されてしまったこともあった。
天空剣・唐竹割り
天空剣の剣技の一つ。7話で使用。上段から敵を縦に真っ二つに切り裂く。
天空剣・一文字斬り
天空剣の剣技の一つ。8話で使用。中段から敵を横に真っ二つに切り裂く。
天空剣・Vの字斬り
ボルテスの必殺剣技。天空剣により敵をVの字に切り裂く。空中に飛び上がったボルテスが獣士を袈裟がけに斬り、その後両刃を活かして角度を変え剣を引き抜きつつ更に斬り裂く。その際超電磁フィールドのエネルギーが残留し、切断面がVの字に輝く。メインパイロットの剛健一は決して剣の達人ではないので、これらの剣技は、少なくとも当初はボルテスにプログラムされている技であると思われる(ただし、後に特訓によって“胡蝶返し”の技を会得するなど、剣技はともかく体術は相当のレベルである。また最終局面ではハイネルと剣で互角の戦いを見せたことから、健一自身も大次郎との剣術の特訓、そして数多の実戦によって腕を上げている事が伺える。)。
天空剣・二段斬り
Vの字斬りを二回叩き込む。名称は二段だが実際には三回斬っている。
天空剣・超電磁ボールVの字斬り
マキシンガル合金によりVの字斬りが通用しない鎧獣士に対抗するための技。超電磁加重砲により生み出された超電磁ボールをマキシンガル合金にぶつけ材質を劣化させるもの。なお、「超電磁ボールVの字斬り」という名称は、スーパーロボット大戦の為の便宜上のもので、劇中では超電磁ボールとVの字斬りは別個に用いられた(コン・バトラーVの超電磁タツマキから超電磁スピンにつなぐ連続技と同じ)。超電磁ボール(超電磁加重砲)のみでは敵を破壊できない。24話では鷹メカの加重砲を使用するもののビッグファルコン全部のエネルギー量に相当するほどの膨大なエネルギーの調達に苦慮し、25話では雷を天空剣に集めるものボルテスはエネルギーに耐えられず自爆してしまう。26話では鷹メカからもたらされた指令書にもとづき改造が行なわれるが一発の超電磁ボールで全エネルギーを放出してしまいエネルギー制御の不完全さを露呈する。最終的に鷹メカと合体して制御装置を追加装備することでエネルギー制御を完璧なものとし、実用可能となった。別にVの字斬りである必要はないが、Vの字斬り以外の剣技は使われなかった。
みかんいろ バリトン サーファ マスター ハンディー ニュルン すみのえ ロフルス タラップ ステン ハート フォロワー ダイヤ ディク ランド パーク カーブ シャト ラン トップ とうたい ジャン ルー メルク ニックス カレワ とうみょう ぶきいろい ディッシュ ラベル タオイズ ダイアモンド ショウ ベッド おじま ハイボー タイプライ 宇宙ステー ピンタック オートクチ ティンカー カラム モッコク ヤード きくらげ トータル ケトン ヒョウ メンバー チャンネル

ボルトマシン
ボルト・クルーザー
全長12.8m、重量95t、飛行速度マッハ20という高速戦闘機。ボルトマシンの指令機であり超電磁発生装置とウルトラマグコンを装備する。単体での活躍はあまり多くないが、ボアザン円盤との戦いでは戦果をあげている。機体中央部が折れてクランク状に変形しボルテスVの頭部になる。合体後はコンピューターセクションとなる。17話においてV字編隊を崩し合体をさえぎる獣士ザイザルスに対して、クルーカッターを展開したままV字編隊で各機最高速度でキリのように回転し螺旋状に飛ぶことで獣士を撃退した。この技はコン・バトラーの超電磁スピンそのものであった。剛健一が乗り込む。
主武装
バルカン
クルーミサイル:機首両側面より発射するミサイル。
クルーアロー:機体後部中央より発射するミサイル。
クルーブーメラン:機体先端の前進翼先端からカッターを展開し射出する。
クルーカッター:主翼先端から飛び出すカッター。
ボルト・ボンバー
全長16.2m、重量100t、飛行速度マッハ18の重爆撃機。とはいえコン・バトラーでの合体矛盾を解消するために分厚い胸板がパンザーにまわされた結果重爆撃機とは名ばかりのスリムな戦闘機になった。両腕部分を開いて上下に180度回転しボルテスVの腕部を構成する。合体後は攻撃セクションとなりコクピットは完全に胴体内に格納される。峰一平が乗り込む。当時の超合金ではT字の垂直尾翼が余剰部品となった。
主武装
ボンバーミサイル:機首両側面より発射するミサイル。
ボンバーフック:合体後腕になる部分より発射されるワイヤーアンカー。
ボンバーリング:機体下面に装備されたリング状武器。
ボンバーバム:爆雷。
ボルト・パンザー
全長12.4m、重量220t、飛行速度マッハ15という、あの機体でどうやってそんな速度を出せるのかがサッパリ分からない、という不思議な重戦車。単体で飛行可能なため何故にキャタピラがあるのかは不明(飛行能力がなくバトル・マリンに空輸されるバトル・タンクとは全く違う)。超電磁ゴマと天空剣と原子炉を内蔵する。バトル・タンクが胸を機首にしていたのに対しパンザーは胴を機首とする。合体時には左右に180度回転しボルテスVの胸と胴体を形成する。合体後はエネルギーセクションとなる。剛大次郎が乗り込む。コクピットはフリゲートと向かい合わせの格好でフリゲート側に多く収納されるはずである(胴体内はほぼ超電磁コマにスペースをとられているため)。なお17話においてV字編隊を崩し合体をさえぎる獣士ザイザルスに対しての特訓ではマッハ16で飛ばされていた。
主武装
ベルトカッター:キャタピラ部から射出されるベルト状のカッター。
パンザーミサイル:機首両側面より発射するミサイル。
パンザーナックル:機首両側面より発射されるワイヤーアンカー。
パンザーアーム:機体後部から伸びる作業用アーム。
ボルト・フリゲート
全長19.5m、重量105t、飛行速度マッハ16の双胴型潜水艦。単体で飛行可能。バトル・マリンに比べて脚の断面が四角いために潜水艦・飛行機の印象は薄い。そのためか太もも部裏面に収納式の艦橋のような部分を持つ。この部分にはレーダーアンテナ状の部品もあったが、コクピットは機首先端にあり用途が不明である。合体後は修理・補修セクションとなりボルテスVの腰と脚部を構成する。剛日吉が乗り込む。
主武装
修理装置
ネプチューンロック:機首両側面より発射されるワイヤーアンカー。
フリゲートミサイル:機首両側面より発射するミサイル。
フリーザー光線:機首両脇より発射される冷却光線。
ボルト・ランダー
全長8.3m、重量80t、飛行速度マッハ17の偵察型マシン。単体で飛行可能。くのいちでもある岡めぐみが乗り込むため合体後も偵察・分析セクションであり、ボルテスVの足首と足を構成する。バトル・クラフトとは違い側面すべてが合体面ではなく、コクピット部分が両側の機体をつなぐ形になっている。合体面が分離して下方に90度折れ曲がり足となり、つま先にあたる部分からは左右2本ずつのドリルが出て地中行動も可能となっている。分離が自由なボルテスの特徴を活かしてボルテスが拘束された際に単体で分離し仲間を救ったこともある。ランダーのコクピットは左足。
主武装
ランダー手裏剣:機体中央下部より発射される十字手裏剣。
ランダーミサイル:機体中央両側面より発射するミサイル。
ランダードリル:機体先端に装備される収納式のドリル。
ランダーコンクリート:機体前部より射出される速乾性のコンクリート。

その他の登場メカ
ビッグファルコン
大鳥島[7]に存在するボルテスチームの基地。鳥を模した司令塔が存在し、5台のボルトマシンを発射するカタパルトを備えている。多くの職員を有しており経営基盤は不明。38話でソーラーバードと合体し、宇宙へと飛び出した。
ソーラーバード
ビッグファルコンと合体し宇宙への飛翔を可能としたサポートメカ。浮上したビッグファルコンを支えるように、下から合体する。
鷹メカ
ボルテスのパワーアップに貢献した鷹型メカ。名称不明。もとはボアザン星で王侯貴族専用の乗り物として運用されていたらしい。ビッグファルコンすべてのエネルギーを消費するとされる超電磁加重砲(超電磁ボール)を発射できる。後にはボルテスと合体しエネルギー制御装置を追加した事もある。特にこの機体はラ・ゴールを主設計者として皇帝専用機として設計されたもので、最高速度マッハ30のプラズマイオンエンジンと通常の兵器を一切無効化するギロン合金装甲を兼ね備えている。

2009年02月08日

バオ・ダイ

バオ・ダイ(ベトナム語:B?o Đ?i, 漢字:保大, 1913年10月22日 - 1997年7月30日)は、ベトナム阮朝第13代にして、ベトナム最後の皇帝。諱は福晪(晪は日偏に典)。バオ・ダイは治世の元号である保大に由来し、保大帝とも称される。
1913年10月22日に生まれ、当初は阮福晪(グエン・フク・ティエン, Nguy?n Phúc Thi?n)と名乗っていた。フランスで教育を受け、父親である啓定帝が1925年11月6日に崩御するまでフランスに住んでいた。1926年1月8日に皇帝に即位し、年号を保大としたが、すぐフランスへ戻り、しばらく留まった。
シントニア タコス オイル マヤ吉 ケルン ミーハー ボタン たこいと デュアル アルル ライン アクサ ビー玉 ロコモコ ライフ テナー クチル トッププ ナズナ ロベニア シタニア キング ブルー レンド ハファダ シリア マリンホス タイトス リテール シラー カノープス きねづか ブダペ スノーグ チョウゲ フルタイ モミジ デブリ ブラッシ 深海魚 シルバー ビーテ トライ サイキック ブレッツ プルーフ すいか くもり ダッジ ミーア

バオ・ダイはその治世に、ベトナムの完全独立を許可するようフランスを説得し、改革のために委員会を確立した。1934年に、カトリック教徒で南ベトナム出身の阮友蘭(南芳皇后、ナム・フォン、Nam Ph??ng)と結婚。第二次世界大戦末期の1945年3月には、日本の傀儡国家であった「越南帝国」の君主となりフランスからの独立を宣言した。

退位後

バオ・ダイ(後方右)とその友人ド・メグレ1945年8月の日本敗戦時にバオ・ダイは退位し、これによって阮朝は幕を閉じることとなった。その直後、ハノイでベトナム民主共和国が成立すると、ホー・チ・ミン(胡志明)によって新政府の「最高顧問」に任命されたが、公式の外交代表団の一員として訪中時に亡命し、1946年にはイギリスの植民地の香港へ移った。

ベトナム国元首
1949年にはフランスの支援で、南ベトナムに樹立されたベトナム国の元首としてベトナムに帰国、1954年のジュネーヴ会議によって正式にベトナム国元首となった。ゴ・ディン・ジエム(呉廷琰)を首相に指名が、翌1955年にゴ・ディン・ジェムは国民投票を実施してベトナム国を共和制へと移行させ、ベトナム共和国が成立すると大統領に就任した。

再び退位
このため、バオ・ダイは再び退位を余儀なくされ、パリへ亡命した。その後はベトナムへ帰国せずにカンヌ付近で余生を送り、1997年7月30日にパリの陸軍病院で死去した。

宗室
阮朝 第十三代 皇帝 姓名 阮福晪
年号 保大 1926年 - 1945年
廟号 -
字 -
諡號 保大帝(帝号)
生没年 1913年-1997年
在位 1926年-1945年
父 啓定帝


阮福保隆(Nguy?n Phúc B?o Long、1936年1月4日 - 2007年7月28日)
阮福保陞(Nguy?n Phúc B?o Th?ng、1943年12月9日 - )
阮福保恩(Nguy?n Phúc B?o Ân)
阮福保隍(Nguy?n Phúc B?o Hoàng)
阮福保山(Nguy?n Phúc B?o S?n)


芳桃公主(Công chúa Ph??ng Th?o)
芳梅公主(Công chúa Ph??ng Mai)
芳蓮公主(Công chúa Ph??ng Liên)
芳蓉公主(Công chúa Ph??ng Dung)
芳明公主(Công chúa Ph??ng Minh)
芳慈公主(Công chúa Ph??ng T?)

保大通宝の発行

保大通宝十文銭
保大通宝小平銭
保大通宝打製銭バオ・ダイは1933年にフランスより帰国後親政をはじめたが、その際、歴代皇帝の例に倣って自らの年号を冠した新たな銅銭を鋳造した。これが保大通宝である。大別して二種類の形式があり、一つは直径約27mm、重量3.5gから4.5gで、裏に十文の換当価の表示があるもの。もう一つは直径約24mm、重量約3gで裏無地のものである。これは六文に相当し、小平銭と呼ばれる。これらは円形方孔の、いわゆる穴あき銭の形態をしており、東アジア諸国において二千年以上にわたって作られ続けたこの形式の貨幣としては最後のものである。なお、裏無地のものの中に、重量が4gに達するやや重いものがあり、当初十文通用として作られたが、六文銭との区別をはっきりさせるため、直径を大きくし、換当価を明示した前述の形式に改められたという。[1][2]

翌年の1934年2月に、バオダイは勅諭を発して従来変動していた阮朝発行の穴あき銭(フランス人はこれをサペックと呼び、安南の土民はドン(銅)またはテンドン(銭銅)と呼んでいた。)とインドシナ植民地政府発行のピアストル貨との交換率を固定し、1ピアストルにつき、十文銭195枚あるいは六文銭325枚と定めた。

一方、インドシナ植民地政府の側でも、バオダイによる新銅貨発行と時を同じくして北部のトンキンにおいて保大通宝の銘を持つ打製の銅貨を発行し流通させた。これは直径18mm重量1.4gであり、600枚で1ピアストルと交換された。また、打製の保大通宝の中に、直径が26mm程度の大型銭(古銭収集界で活字体と呼ばれている)が僅かながら存在するが、これは試作貨であると言われている

2009年01月23日

モンスターハンタ

モンスターハンター』(Monster Hunter)

原作:飯塚幸弘、作者:平松伸二の日本の漫画作品。1987年から1988年にかけて週刊少年ジャンプとその増刊に連載。
2004年にカプコンから発売されたハンティングアクションゲーム、及びそのシリーズ作品

プレイヤーは“ハンター”となり、村や街で依頼を受け、特定のモンスターの討伐・捕獲やアイテムの運搬・採取等の様々な「クエスト」に挑む。時には身の丈より巨大な武器を振り回し、時には小回りの利く武器で狩猟対象を翻弄しながら、巨大な“飛竜”を始めとするモンスターを狩り、クエストを達成していく。ゲームクリアとなる具体的な最終目的は用意されておらず、クエストの成功報酬や狩猟したモンスターから素材を得て自分の装備を強化していき、より手強いモンスターと戦う事が主な目的となる。

成長要素としての「レベル」等は存在せず、キャラクターの動作そのものは、プレイヤー自身の鍛錬によって向上させるしかない。また「職業」のような区別も設定されておらず、所持品の中から自由に持ち替えられる武器によって操作方法や攻略方法が大きく変化することで、様々な遊び方を選択できる。武具の性能に関しては、プレイヤーからの要望やゲームバランスをもとに、シリーズやバージョンごとの修正が行われている。

“巨大な生物と対峙し、狩る”という考え方に拘った描写にオンラインによる共闘などの要素を絡め、『○○の生態』といった生態紹介CG映像で世界観を作り上げている。作品を題材とした小説を始め、フィギュア、ドラマCD、トレーディングカードなど展開されている。詳細は下記を参照。

元々は有料のオンライン専用ゲームとして開発が進められていたが、オンライン専用では売れないという風潮から急遽オフラインでも遊べるモードが付け足されたという経緯がある。クエストやモンスターを始め、オフラインでは入手不可能なアイテムなどの格差が存在する。『モンスターハンターポータブル』シリーズでは、携帯ゲーム機対応という事もあり、オフラインプレイを前提とした環境やシステムが整備されたほか、ネットワーク接続が無料となっている。

頻繁な追加クエストの配信を始め、『電撃PlayStation』、『ファミ通』などのゲーム雑誌とのコラボレーションも恒例で行われている。主に、雑誌名を冠したイベントクエストが配信され、報酬で得られるゲーム内アイテムにより特別装備が作れるという形式をとっている。

通称は「モンハン」、「MH」と略されることもある。この項目で用いるシリーズの便宜上の略称は以下の通り。
ジョブコー ダーポポ プライ オール ハンドグ フェア はずたか タフガ シミュレ 冬の花 ポテト トゥー ハンカ ハシェマ やまふじ インレット ゆずの里 カガシ マンシェ ナサラ ヌクレ 検索モミ カラカス スピー オリジナ 水菜 ビジョン ズーム マウンテ ドレス トカマク ムギセ ベニバ グラソース キング コード オパール オーセン クール ランボ たてじょう ブラゾーン おおみ リンス バロキ スノー ドウェー プレス プロペ いぬまき

「モンスターハンター」→「MH」
「モンスターハンター G」→「MHG」
「モンスターハンター ポータブル」→「MHP」
「モンスターハンター ドス」→「MH2」
「モンスターハンター ポータブル 2nd」→「MHP2」
「モンスターハンター フロンティア オンライン」→「MHF」
「モンスターハンター ポータブル 2nd G」→「MHP2G」
「モンスターハンター トライ」→「MH3」
ソニックチームの代表作であるファンタシースターシリーズも製作の参考にされた。

作品中には流血表現等があるため、シリーズを通してCERO15歳以上指定となっている。

世界観
未開の大地を舞台とし、魔法等の超自然的技術を廃した原始的な狩猟生活を全面に打ち出した世界観は、マタギや恐竜といった実在のモチーフから構築されている。ファンタジーにおけるドラゴンスレイヤーの項目も参照。

モンスター
モンスターには独自の習性や繁殖方法など、多くの生物的な特徴が設定されており、小型肉食竜から中型の草食竜、大きなイノシシ、巨大な昆虫など、呼び名はモンスターであっても、作品世界に生息する多様な"生物"の一種として描写される。

その中で特異な能力を持ち、生態系の上位に立つのがワイバーンとも呼ばれる飛竜種で、火を吐く、ガスを噴出するといった特殊能力を持つ。しかし、それぞれの特徴はやはり生態に基づく物で、あくまでも、生態系の中にある生物種の一個体として存在している。

MH2からは、多くの謎に包まれた「古龍種」が登場した。巨大な体躯で砦さえ破壊する者や風のバリアをまとって弓矢を弾き返す者、粉塵爆発の原理で周囲一帯を爆破する者など、前述の飛竜種すら超越した"天災"と表現されるほどの能力を有している。

これらモンスターを討伐、または捕獲する事が多くのクエストの目標であり、この世界のハンターの生業である。初期は討伐目的の「討伐クエスト」と捕獲目的の「捕獲クエスト」に分類されていたが、MH2以降は討伐と捕獲をまとめて「狩猟クエスト」と呼ぶようになった。

2009年01月16日

弥生時代の集落には様々な例があるが


バゲット クス ポイント ヌガー ソリッド 一石二鳥 ミックス ランウエー アヨーチン ブルペン ステーク ドンファン フィル 検索クワ ギガス おじまじ タンポン カレンシー ぼうふう トリグ シャーマン シシャパ キトサン タウリン フィー リーキ シシカバブ バーガー モダンアート セントラ ヒンドゥー フレッ サイゴン 王様検索 フルネュ ナロー ひみつり オーバ カーフェリ サーベイ レジェンド サー油 マイタ かぶらや デミタ ラジエ スター ダンサー テンキー イニング
弥生時代の集落には様々な例があるが、一般的に発見されるものとして、居住施設としての竪穴住居、貯蔵施設としての貯蔵穴や掘立柱建物、ゴミ捨て場や土器の焼成など様々な用途に使われたと考えられる土坑(不定形の穴)、集落の周りを巡らせたり集落内部を区画するように掘られた溝(環濠や区画溝など)の遺構がある。

弥生時代の人々の住居には、主として竪穴住居が使われた。平面形態は円形・方形が主流で、長方形・隅丸方形がそれに次ぐ位置を占めるが、地域によって多様な様相を示す。 早期の北部九州の住居には、縄文時代晩期の系譜を引き継ぐと考えられる平面方形のもののほかに、平面円形で中央に浅い皿状のくぼみを持ち、その両脇に小さな穴(柱穴か)を1対持つ特徴的な形態の住居が存在する。 この形態の円形住居は、同時期の朝鮮半島南部に広く分布しており、韓国忠清南道扶余郡松菊里遺跡で最初に注目されたことから、「松菊里型住居」ともよばれる(ただしこの名称は日本国内に限定して使用され、韓国考古学界ではむしろ「松菊里類型」という用語は住居跡の形態のみでなく土器や石器組成を含めた文化総体の名称として用いられることが一般的となっている)。 この松菊里型住居は、縄文時代後・晩期に西日本一帯でしばしば見られる円形プランの住居跡とともに、弥生時代前期から中期にかけて主流となる円形住居の祖形となったと考えられている。 弥生時代中期には、住居のプランは北部九州から西日本一帯で円形プランのものが卓越し、一部に隅丸方形のものが見られるが、弥生時代後期にはいると西日本一帯で突如として平面プランが方形あるいは長方形へと変化し、次第に長方形へと統一されていく。

このほか、南部九州には「花弁型住居」と呼ばれる特異な平面プランの住居跡が分布し、また兵庫県西部(播磨)地域には円形住居の床面中央部に1O(イチマル)土坑と呼ばれる特殊な遺構を持つ例が分布するなど、竪穴住居の形態には多様な地域性があり、注目される。

弥生時代の住居としては竪穴住居が出土例の大半を占めるが、このほかに平地式住居や掘立柱建物が想定される。 しかし、平地式住居の場合、生活面が削平されて(けずられて)しまうと生活の痕跡の大半が失われてしまうことから、住居として把握することがきわめて困難になってしまうため、これまでに把握された平地式住居の具体的な例はきわめて少ない。 また、掘立柱建物の場合後述する倉庫などとの区別が平面プランだけでは区別できないため、これも確実な住居の例は指摘されていない。

弥生時代には、主に米を貯蔵する倉庫が発達した。 早期には北部九州など一部の集落に掘立柱建物の倉庫が半島から伝播するが、前期までに地下式の倉庫が主流となり、掘立柱建物はほとんど見られなくなる。 地下式倉庫は円形のものが主流で、しばしば方形・長方形のものが見られ、いずれも断面形態がフラスコ状を呈する。これらは「貯蔵穴」と呼ばれる。

中期前半から中葉にかけて、掘立柱建物の倉庫が西日本一帯に展開する。 主な形態のものは柱間が1間×2間の規模のもので、これに1間×1間、1間×3間などのバリエーションが加わる。この倉庫の様相は弥生時代を通じておおよそ変化はなく継続する。 弥生時代末から古墳時代初頭になると、2間×2間の総柱式の建物が出現し、これが主要な倉庫の形態となる。